八坂神社(我孫子市白山1-1-1)は、京都市祇園にある八坂神社が総本社で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を主祭神としています。祇園の八坂神社の関連神社は全国に約2300あり、我孫子には江戸時代中期(今から約300年程前)に祀られた記録があります。昭和30年代までは草屋根の単純な社でした。
八坂神社の祭礼は「天王様」と親しまれる八坂神社の夏祭りです。祭礼がいつ頃から開催されていたかの記録はありませんが、神輿が祀られた時期(今から約200年前)から開催されていたと考えられています。しかし、太平洋戦争の戦禍の増した時期はお祭りどころではなかったようで、祭礼が開催れることなく、戦後、祭礼が再開されたのは昭和28~29年頃です。この当時、神輿は火事にあったり金具の盗難などもあり、とてもみすぼらしい状態でした。したがって、お祭と言っても神輿は神社の前に据え置き、子供神輿を中心に執り行われていました。これは昭和49年まで続きました。現在では2日間行われるお祭りの初日を宵宮(よいみや)と言い、19:00 八坂神社で神輿の御霊入れの儀が行われます。その後町内会ごとの子供神輿が地区内を渡御(とぎょ:練り歩く)します。
本祭りの2日目は11:00(2013年までは10:00)から21:00まで神輿の行列(神輿1基と屋台3台)が旧成田街道沿いの町中を渡御します。これは昭和50年に神輿を改修した後から40年間変わらずに引き継がれています。
◆7月13日(土) 子供祭り
各町内会の「子供神輿」を子ども達の手で町内を渡御(とぎょ)します。
10:00~ 子供神輿御霊入れ
12:00頃~ 子供神輿渡御(とぎょ)
19:00~ 大神輿の御霊入れ
ー御霊入れの儀ー
八坂神社にすでに設置されている神輿に御霊を入れる儀式が執り行われます。(御霊入れの場面は白布で隠されています)
◆7月14日(日) 大神輿渡御
大神輿が山車を引きつれまちを練り歩きます。
13:00~ 八坂神社 出発 大神輿渡御
20:15頃 八坂神社前にて納めの儀
※13日は夕方頃, 14日は昼頃から屋台が立ち並びます。
ー納めの儀ー
2日目の夜に神輿が八坂神社に戻ってくると、祭礼で一番の見どころになります。
我龍睦の会(我孫子のお神輿の会)の歌に合わせて「ソイヤ!ソイヤ!」と神社の鳥居を潜ろうとする神輿の担ぎ手と、まだまだ早いとこれを阻止する人々、このやりとりを観ようとする観客で神社の周辺は身動きの取れないほどの状態になります。
「入れろ」「入れない」…しばらく続き、ようやく八坂神社に戻ってきたお神輿が社前で“納めの儀”を執り行い、2日間のおまつりがフィナーレを迎えます。
八坂神社の神輿は今から200年ほど前には祀られていたという記録がありますが、誰の作品なのか、いつの時代に作られたものなのかは不明です。
神輿の大きさは昔より米俵で表されています。我孫子の神輿は15俵目(900キロ)と言われ(実際には5~600キロ程度と推定されています。)台座部分だけで4尺2寸(126センチ)四方、鉄釘は1本も使用されていない大きくて立派な神輿です。
修理時は神輿の屋根を取り外し、内部の状態も確認します。神輿内部の柱には修理した当時の役員(総代)名を記した紙片が貼ってあり、昭和9年(※以前の記録はなし)50年、64(平成元)年に改修したことがわかります。修理には費用もかさみ、昭和50年の大改修では金具だけで600万円も掛かっています。この費用は旧我孫子町の一丁目から四丁目(現在の我孫子市我孫子1~4丁目とは異なります。)の町会が負担しています。
他のお祭りなどでは山車(だし)と呼ばれることが多いようですが、八坂神社の祭礼では屋台(やたい)と呼ばれ、神輿の前後を歩きます。
露払い | 神 官 | 金棒引 | 神 輿 | 宮 司 | 総代・・ | 本囃し | 助囃し |
金棒引 | 総代長 | 総代・・ |
⇐ 進行方向
○露払い … 謡や能でお神輿を先導する
○神 官 … 神事を執り行う人
○金棒引 … 神輿の前に立って金棒を鳴らし先導する
○宮 司 … 神社の祭祀(さいし)の責任者
○総代(長) … 氏子総代:神社の維持のための活動を行う
○本(助)囃し … お囃子(謡や能)を行う
この行列の並びには意味があり、先頭の屋台は露払いを、次いで神官(しんかん)、二人の金棒引(きんぼうひき:神輿の先導役)、神輿と並びます。神輿の後ろにも2つの屋台が続きます。それぞれの町内会によって構造や装飾など異なっています。